プロフィール

白龍2
白龍2

タジマKヒロアキ  Hiroaki K Tajima

1955年  東京、高田馬場生まれ   さいたま市在住 

1978年 玉川大学デザイン科卒

彫刻家 植草正勝氏にデッサン、クロッキーを学ぶ

洋画家 渡辺米作氏に洋画を学ぶ

サロンドトンヌ入選(パリ・グランパレ)  

ルサロン入選(パリ・グランパレ)  

スペイン美術賞展入選 (スペイン) 

日仏中現代美術世界展入選 (中国) 

ショーモン展入選(フランス)

超流展出品。

埼玉美術の祭典出品。

AJAC展出品。 

プラハ宮廷芸術祭2002(チェコ)プラハ国立美術館東洋文化英知賞   

新世紀宮廷芸術祭ウイーン2002(オーストリア)ハプスブルク東西ヨーロッパ大選奨受賞他   

1995年〜美術研究集団紫泉会展(さいたま市)に毎年出品(市立大宮図書館、氷川の杜会館など)。

2015年 4月29日から5月10日まで、ギャラリー「風画」(さいたま市)にて個展。

2015年 11月11日から15日まで紫泉展「さいたま氷川の杜」
2016年 11月29日から12月4日まで、「夏目画廊」で個展。
2017年 5月16日から5月21日まで紫泉展「さいたま氷川の杜」
2019年 5月1日から5月12日まで、ギャラリー「風画」(さいたま市)にて個展。

2019年 6月12日から16日まで紫泉展「さいたま氷川の杜」

作品ご希望の方はこちらへhttps://www.singulart.com/ja/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88/hiroaki-tajima-k-14339

 

  
 
私の絵画の調理法

 これはマークロスコのレシピに学ぶものであり、私のレシピから見る限りすべての芸術に於いての制作上の普遍の要素である。
1。人生において最も激しく大きな感情的振幅をもたらす出来事は死であろう。その次が怒り、時に喜びがそうかも知れないが、ここは不可知な事柄が重要であり、それは死に勝るものはない。神秘と畏れ、峻厳にして恐ろしく、あらゆる理性と科学的分析は不完全で終わる「死」。死とその向こう側、扉の向こうはごく稀に垣間見る者がいるが、それは確実な証拠となる何物も示せない個人的経験である。肉親の死、親しい友人の死との直面、そして自分の死への不安と死後の世界をどう考えるかという問いは必ず人を神秘の谷へと迷い込ませる。この死を思う感覚の要素は創造の根本から外せない。
2。観る者の経験と記憶と知識に裏打ちされる判断と分析的感性は絵画コミュニケーションのもう一つの要素である。人は知らないものを左脳で理解する事は出来ないが、右脳は直感的で先験的である。言い換えれば個人の経験を超えた、人類の辿って来たアカシックレコードを引き出す。そこから降りてくる情報が観者を意識的に、絵画の中で普遍的感情に触れるように意識的に計らなければならない。
3。音楽をして人は具体的な感情やメッセージを受け取るが、それ以外にも音そのものの心地よさや刺激を楽しむ。絵画もそのように、形、色、線そのものの持つ表情が楽しみや感動を与えるようにしなければならない。心地よい配色、気持ち良い線の運び、また形そのものが与える印象。
4。日本の古代、超古代のイメージを観者がどのように持っているかは各々であるが、その日本古代と超古代のイメージを想起させるような形と色を模索し試みなければならない。江戸や安土桃山よりも、もっと古い土着的イメージだが岡本太郎の言うような縄文時代まで遡らず、原始神道から少し手前までをイメージする感覚的形と色彩。
5。1の死の要素は楽しい作品、喜び踊るような作品、幸福の絶頂を表すような作品においても、その作品の底流に静かに荘厳に、気が付けば地下水のように流れている。例えばビートルズの初期の作品、特にジョンレノンの作曲によるもの、ロイオービソン、ヴァンモリソン、サムクック、アーサーアレキサンダー、多くのトラッドフォークソングの中に感じることができる。絵画の例ではモジリアーニ、ゴーギャン、ゴッホ、、ピカソ、ムンク、古くはミケランジェロ、レオナルドダヴィンチ、ボッティチェッリ、日本では琳派、青木繁、速水御舟、久隅守景、写楽、雪舟等にその要素が見られる。現代写真ではアラーキーが挙げられる。クラシック音楽では大部分にその要素がある。ワーグナーのトリスタンとイゾルデはその完璧な表現の一つである。何処までも深淵な死の谷と天国への憧れ、生命の永遠性と再生の神秘を営み出す愛と性、性の絶頂感。個性や自我はもはや問題ではなく芸術のテーマでさえなく、アーチストは人類の普遍的感情をいかに表現し得るかを、その精進の目標とすべきであると思わせる。
6。要素のパーセンテージをどの位にするかは作品個々の性格による。例えば
死の要素20%
心地よい感覚20%
叙情的雰囲気10%
導入的具象性30%
自然的必然性10%
造形的、色彩的必然性10%
 以上計100%
その配分の調節が個々の作品の味わいの元となる。絵画を通じてのコミュニケーションの深度がどの程度であるかが、作品の精神的質となり、一方、それを創り出すのは技術そのものである。この技術は描写デッサン力、色彩感覚、構成力等と同列であり、また不可欠である。
7。絵画における感情。人間の底流にある感情は、人間がこの世に誕生した時から、生活の中での最大事である身近な人の死に伴う感情で、最大の比重を占めているのは先に述べた通りである。その経験はDNAの中にも深く刻まれて人間の形質を造っているに違いない。それに触れる作品こそが長く心を掴むのであろう。死という、決して逃れられない定めを知る感情は、あらゆる芸術の最重要な形であり、色であり、音であり、言葉となるのである。数百万年の人間の営みの中で、その一人一人が体験した感情が人間の重積記憶となってDNAを通して、あるいは霊的な何かで伝わり続けている。音楽で言えば、100年ぐらい前に創られ、多くの人に演奏されている曲がある。クラシックとなれば何度も何度も再現され続ける。作曲家の意図や心を掴み取り、忠実に再現しようとするだろう。譜面に込められた感情を、その時までの人間の重積記憶のように作曲家一人を通して譜面の記号の中に埋め込まれているが、その後も再演されるたびに、その演者の感情が加えられていく。絶えずリメイクされているのだ。そうして一曲の作品は人間の歴史の中を再演されることで進化していく。新たに積まれる感情の波が書き加えられるのだ。いや、演者はその度ごとに元譜を演奏するのだから、作曲家と1対1になって、その都度、自分の感情だけが表現を左右するだけだと思うかも知れない。違うのだ!演奏家は人が歩んだ歴史すべての感情を共有し、新たに自分の感情を付け加えるのだ。絵画はどうだろうか、再現芸術とは違うので、少し異なる見方が必要だ。絵画は音楽よりももっと個人的なものである。だがその個人も、遡れば2乗倍で増えて30世代も遡れば、直系の祖先は億を超える。それらの祖先の経験してきた感情は共有のものであり、死のもたらす感情はやはり最大のものとして底流にある。感動と共感を呼ぶ絵は、その感情に触れ、響かせる色彩や形を持っている。作者はそれを意図的に形成しなくてはならない。絵の調味料として、死を思う感覚と、その次に必要なのは性である。ここでは性そのものを題材としている作品以外で語らねばならない。エロチシズムや色気などは無機物を描いても出てくるもので、重要なのは、ものの形などから連想させるようなものではなく、そこはかとなく表出してくるものでなければならない。これは死のように形而上的なものでなく、性はその対極に位置するからである。形而上的要素は造形や音楽の数理的法則性に関わり意図的に加わるもので、形而下的要素は人間の生活そのものに関わるからである。 
  
  正方形の仕掛け

芸術表現は観者の経験に依存して成立する。しかしその成立する部分は表現の具象的、言語的な部分であり、前経験的な部分を直感的な、あるいは霊的知覚で感じ取れる場合もある。それは今生での記憶ではないが経験知でもある。また霊的に他者の記憶と連動している言わば外部記憶の流入という事も有り得る。それらを含めた意味での経験への依存による成立である。

単純形態への認識も経験知に依存している。私が使う正方形もそれを認識する経験による違いが感じ方に影響する。正方形を正確に正方形だと認識する人と、もっと大雑把に四角というカテゴリーで捉える人も居るだろう。街中の看板の正方形や長方形、縦長の長方形や道路標識の長方形のイメージ、サイコロの立方体を四角のイメージで持つ場合もあるだろう。数学の教科書の中の正方形を連想する人も居るだろう。その正方形を私の絵では絵画的バランスやデザイン的配慮で配置するので正方形を別の具体的経験である光の乱舞や木漏れ日や光の反射の煌めきの抽象化であると捉える人も居る。

私にとって正方形は詩と抽象化への糸口でもある。具象的背景から観者の意識をある程度引き離し、観者の経験的認識を少し困惑させて脳の左による思い込みの形態認識による「これは花である」「これは山である」「これは川である」等の左脳認識を揺さぶり、絵の色彩と線と面による詩的な感覚に誘導したいと思っている。正方形の使用方法によって邪魔に思えるだろう正方形が詩の誘い手になる。絵画の中に脳の右側から入ろうとするのを助けることになり、それによって旅行者が、その場所にただ行ったという事実だけをコレクションしているような絵画経験をさせないための仕掛けでもある。


 

美術品の相続税を非課税に。

政治家の皆様へ
絵描きのひとりとして提案させていただきます。
日本では高齢化が進んでおりますが、その高齢者が生産性を発揮できる数少ない分野が美術であります。
そこで、美術品の相続を非課税にする法律を作っていただきたい。現状では多くの美術品は売れる事なく、作者が死亡した場合に子孫は、残された美術品という 遺品を廃棄や良くて寄贈という形にせざるを得なくなります。もっと社会経済全体にとっても有益な解決方法はないかと思案した結果、美術品の相続を非課税扱 いして次世代に伝える事を考えました。
そうすれば資産の一部を美術品に替える事で、被課税者は相続税の軽減を図る事ができ、絵や工芸品を資産保全のために買うようになります。そして美術品が流 動資産に近くなり市場が活性化するでしょう。新しく美術品の市場がダイナミックに動き始めます。今まで金になりにくい美術品が売れるようになります。高齢 化による国の生産力低下を防止できます。美術市場は画材、画廊、ホームセンター、空きテナントの有効利用、商店街活性化、イベント等の産業など幅広く影響 を及ぼします。
これまでの大量生産品を多量に売買する事が主流の市場は少子高齢化、人口減少の中では既に行き詰まり、結果デフレを起こしてしまいました。しかし美術品は たったひとりで非常に高い価値を生み出す作業であります。これまでの生産人口に比例した生産力とは全く異なります。稀に出現する才能は時として、とてつも ない天文学的価値さえ産むこともあります。結果として国家は新たな税収の手段を市場経済の中で得る事ができます。もちろん非課税とする美術品の範囲の一定 の線引きを必要としますが、それは例えば美術年間に登録している事を条件とする等が考えられます。
美術品の相続税を非課税とする法律を作れば、それが現実のものとなります。
これからの日本に高度先端技術とは違うもう一つの柱となる芸術文化観光産業に多大なる力に成り得る法律だと確信します。立法府にある政治家の方々の一考を是非お願いします。